社会・政治のクイズ一覧

全125問のクイズを収録

Q. 地域活性化を目的として、複数の飲食店が参加し、参加者が店舗を巡りながら交流できる大規模な合同コンパのことを何と呼ぶでしょう?

A. 街コン (まちコン)
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街コンは、2004年に栃木県宇都宮市(宮コン)で始まったとされる、地域ぐるみの大規模な出会いイベントです。従来の合コンとは異なり、商店街や飲食店街の複数の店舗が参加し、参加者は専用のチケットやリストバンドを使って店舗間を自由に移動しながら交流を楽しみます。恋愛や結婚を目的とした出会いの場としてだけでなく、地域の活性化や地元の飲食店の振興にも貢献する取り組みとして全国に広がりました。数十人から数千人規模まで様々な規模で開催され、現代の婚活文化や地域振興策の一つとして定着しています。

Q. ニューヨーク証券取引所に上場する代表的な30銘柄を対象とした、アメリカの株式市場の動向を示す最も有名な株価指数を何というでしょうか?

A. ダウ平均株価 (ダウへいきんかぶか)
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ダウ平均株価とは、正式名称を「ダウ・ジョーンズ工業株価平均」といい、アメリカを代表する30の優良企業の株価を平均した株価指数です。1896年にチャールズ・ダウによって創設された世界最古の株価指数の一つで、アップル、マイクロソフト、ボーイングなど各業界を代表する大企業が選ばれています。単に「ダウ」や「NYダウ」とも呼ばれ、世界の株式市場の動向を測る重要な指標として、日々のニュースで報道されています。構成銘柄は時代に応じて入れ替えられ、アメリカ経済全体の健全性を反映する指標とされています。日本の日経平均株価と並んで、投資家や経済関係者が注目する代表的な経済指標です。

Q. 1901年のオーストラリア連邦成立時、シドニーとの首都争いの妥協案として新首都キャンベラの建設が決定されましたが、その建設期間中の1901年から1927年まで臨時首都として機能したビクトリア州の都市はどこでしょう?

A. メルボルン (メルボルン)
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メルボルンは、オーストラリア南東部ビクトリア州の州都で、1901年のオーストラリア連邦成立から1927年まで臨時首都として機能しました。連邦成立時、最大都市シドニーと第二都市メルボルンの間で首都の座をめぐる激しい対立が起こり、妥協案として両都市の中間地点に新首都キャンベラを建設することが決定されました。キャンベラの建設には時間を要したため、その間メルボルンが暫定首都となり、連邦議会はメルボルンの旧国会議事堂(現在の州議会議事堂)で開催されました。1927年5月9日、連邦議会がキャンベラの新議事堂に移転し、正式に首都が移りました。現在メルボルンは人口約500万人を擁し、文化・芸術・スポーツの中心都市として知られています。全豪オープンテニスやF1オーストラリアGPの開催地でもあり、「世界で最も住みやすい都市」ランキングの常連です。

Q. 1904年にパリで設立され、1932年に本部を移転したFIFA(国際サッカー連盟)の本部が現在置かれている、スイス最大の都市はどこでしょう?

A. チューリヒ (チューリヒ)
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FIFA(国際サッカー連盟)の本部は、スイス最大の都市チューリヒに置かれています。FIFAは1904年にパリで設立されましたが、1932年にチューリヒに本部を移転しました。スイスが選ばれた理由として、永世中立国としての政治的安定性、優れた国際交通網、多言語環境などが挙げられます。チューリヒはスイス北部に位置し、チューリヒ湖畔の美しい景観と国際金融センターとしての機能を併せ持つ都市です。FIFA本部では世界サッカーの運営管理が行われ、ワールドカップをはじめとする国際大会の企画・運営方針が決定されます。チューリヒには他にも国際サッカー歴史統計連盟(IFFHS)など、サッカー関連の重要組織が集まっています。なお、ヨーロッパサッカー連盟(UEFA)の本部は同じくスイスのニヨンに置かれており、スイスは国際サッカー組織の中心地となっています。

Q. 2024年7月から発行された新一万円札の肖像に採用された人物で、埼玉県深谷市出身、第一国立銀行、東京ガス、帝国ホテルなど約500社の企業設立に関わり、著書『論語と算盤』で道徳と経済の両立を説いた「日本資本主義の父」と称される実業家は誰でしょう?

A. 渋沢栄一 (しぶさわえいいち)
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渋沢栄一は、2024年7月から発行された新一万円札の肖像に採用された、「日本資本主義の父」と称される実業家です。埼玉県深谷市出身の渋沢は、幕末に徳川慶喜に仕え、明治維新後は大蔵省で近代的財政制度の確立に貢献しました。その後実業界に転じ、第一国立銀行(現みずほ銀行)をはじめ、東京ガス、帝国ホテル、東京証券取引所、王子製紙など約500社もの企業設立に関わりました。また、教育・医療・福祉分野でも約600の社会事業に携わり、一橋大学や東京女学館などの設立にも尽力しています。著書『論語と算盤』では、道徳と経済の両立を説き、「道徳経済合一説」を唱えました。91歳で没するまで日本の近代化に多大な貢献をした人物として、今日でも高く評価されています。