歴史のクイズ一覧

全48問のクイズを収録

Q. 夏季オリンピックが3度開催された唯一の都市はどこでしょう?

A. ロンドン (ろんどん)
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ロンドンは1908年、1948年、2012年の3回、夏季オリンピックを開催しました。イギリスの首都であり、複数回のオリンピック開催都市の中でも最多の開催回数を誇ります。

Q. 320年頃にチャンドラグプタ1世が創始し、パータリプトラを首都として約2世紀にわたって繁栄した北インドの統一王朝で、仏教美術やサンスクリット文学が発展しインド古典文化の黄金時代を築いた王朝は何でしょう?

A. グプタ朝 (グプタ)
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グプタ朝は320年頃から550年頃まで北インドを支配した王朝で、インド史上最も文化的に繁栄した時代として知られています。特に第3代チャンドラグプタ2世の治世(在位380年頃~415年頃)に最盛期を迎え、ヒンドゥー教が国教として確立される一方で、仏教や美術も保護されました。この時代にはアジャンター石窟寺院の壁画やグプタ様式と呼ばれる優美な仏像彫刻が制作され、後の東南アジア美術に大きな影響を与えました。文学ではカーリダーサが『シャクンタラー』などの戯曲を著し、サンスクリット文学の最高峰とされています。また数学や天文学も発達し、ゼロの概念や十進法が確立され、後にアラビアを経由してヨーロッパへ伝わりました。この時代の文化的遺産は「グプタ・ルネサンス」とも称され、インド文明の精華を象徴しています。

Q. 2001年の中央省庁再編で建設省と統合され、国土交通省となった省は何でしょう?

A. 運輸省 (うんゆしょう)
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運輸省は1945年に設置された日本の行政機関で、陸運、海運、航空などの運輸事業を所管していました。2001年1月6日の中央省庁再編により建設省、国土庁、北海道開発庁と統合され、国土交通省が発足しました。

Q. 1882年に着工され、2026年の完成を目指している、スペイン・バルセロナにあるアントニ・ガウディ設計の未完の大聖堂を何というでしょう?

A. サグラダ・ファミリア (サグラダファミリア)
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サグラダ・ファミリア(聖家族贖罪教会)は、カタルーニャ・モデルニスモを代表する建築家アントニ・ガウディの代表作です。1882年に着工され、ガウディは1883年から設計を引き継ぎ、亡くなる1926年まで43年間この建築に人生を捧げました。
当初は300年かかるとも言われた建設ですが、コンピューター技術や3Dプリンティングなどの現代技術により工期が大幅に短縮され、ガウディ没後100年にあたる2026年の完成が目指されています。独特な曲線美と自然をモチーフにした装飾が特徴で、「生誕のファサード」は1984年にユネスコ世界遺産に登録されました。
建設資金は寄付と入場料収入で賄われており、年間約450万人が訪れる世界的観光名所となっています。ガウディは「私の依頼主(神)は急いでいない」という言葉を残しており、この建築が単なる建造物ではなく、信仰と芸術が融合した壮大なプロジェクトであることを物語っています。

Q. 1901年のオーストラリア連邦成立後、シドニーとメルボルンの首都争いを解決するため、1913年に国際コンペで選ばれたアメリカの建築家ウォルター・バーリー・グリフィンの設計により建設が始まった、現在のオーストラリアの首都はどこでしょう?

A. キャンベラ (キャンベラ)
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キャンベラは、オーストラリアの首都として計画的に建設された都市です。1901年の連邦成立後、シドニーとメルボルンの首都争いを解決するため、両都市の中間地点に新首都を建設することが決定されました。1913年、国際コンペで選ばれたアメリカの建築家ウォルター・バーリー・グリフィンとその妻マリオン・マホーニー・グリフィンの設計案に基づき建設が始まりました。グリフィンは自然の地形を活かした幾何学的な都市計画を提案し、中心部に人工湖(バーリー・グリフィン湖)を配置する独創的なデザインを実現しました。1927年に連邦議会がメルボルンから移転し正式に首都となり、現在人口約46万人で、国会議事堂やオーストラリア戦争記念館などの重要施設が集まる政治の中心地です。計画都市としての美しい景観と豊かな自然が調和しています。

Q. 2024年7月から発行された新一万円札の肖像に採用された人物で、埼玉県深谷市出身、第一国立銀行、東京ガス、帝国ホテルなど約500社の企業設立に関わり、著書『論語と算盤』で道徳と経済の両立を説いた「日本資本主義の父」と称される実業家は誰でしょう?

A. 渋沢栄一 (しぶさわえいいち)
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渋沢栄一は、2024年7月から発行された新一万円札の肖像に採用された、「日本資本主義の父」と称される実業家です。埼玉県深谷市出身の渋沢は、幕末に徳川慶喜に仕え、明治維新後は大蔵省で近代的財政制度の確立に貢献しました。その後実業界に転じ、第一国立銀行(現みずほ銀行)をはじめ、東京ガス、帝国ホテル、東京証券取引所、王子製紙など約500社もの企業設立に関わりました。また、教育・医療・福祉分野でも約600の社会事業に携わり、一橋大学や東京女学館などの設立にも尽力しています。著書『論語と算盤』では、道徳と経済の両立を説き、「道徳経済合一説」を唱えました。91歳で没するまで日本の近代化に多大な貢献をした人物として、今日でも高く評価されています。

Q. 1930年に独立100周年の記念事業として自国で開催され、決勝戦で隣国アルゼンチンを4-2で破って初代王者となった、第1回FIFAワールドカップの優勝国はどこでしょう?

A. ウルグアイ (ウルグアイ)
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ウルグアイは、1930年7月13日から30日にかけて自国で開催された第1回FIFAワールドカップで初代王者となりました。開催国として出場13カ国(欧州4、南米7、北中米2)を迎え、首都モンテビデオのエスタディオ・センテナリオで全試合が行われました。当時ウルグアイは1924年パリ五輪、1928年アムステルダム五輪でサッカー金メダルを獲得しており、世界最強国の一つでした。また1930年は同国の独立100周年にあたり、記念事業として開催権を獲得した経緯があります。決勝戦では約9万3000人の観客が見守る中、前半2-1でリードしたアルゼンチンに対し、後半3得点で逆転勝利しました。ウルグアイは1950年ブラジル大会でも優勝し、人口約350万人の小国ながらワールドカップ2度制覇を達成しています。

Q. 1703年にピョートル大帝によって建設され、1712年から1918年までロシア帝国の首都として機能し、ソ連時代には1924年から1991年まで「レニングラード」と呼ばれた、世界三大美術館の一つエルミタージュ美術館や聖イサアク大聖堂がある「北のベネチア」と称されるロシア第2の都市はどこでしょう?

A. サンクトペテルブルク (サンクトペテルブルク)
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サンクトペテルブルクは、1703年にピョートル大帝によって建設されたロシア第2の都市で、「北のベネチア」とも呼ばれる美しい都市です。ピョートル大帝は西欧に開かれた「窓」として、ネヴァ川河口の湿地帯に計画的に都市を建設しました。1712年から1918年までロシア帝国の首都として政治・文化の中心地でした。1914年に第一次世界大戦でドイツと敵対するとペトログラードに改名、1924年のレーニン死後はレニングラードと改名されました。第二次世界大戦では872日間にわたるナチス・ドイツの包囲戦で100万人以上が犠牲となりましたが、市民は英雄的に抵抗しました。1991年のソ連崩壊直前に住民投票により元の名前に戻されました。エルミタージュ美術館は世界三大美術館の一つで、300万点以上の収蔵品を誇ります。歴史地区は1990年に世界遺産に登録されています。